04
ライバートと出会えたのは二人が公演会場に辿り着いてから三十分程経ったころだった。
ライバートは紳士用の黒のスーツに身を包み、シルクハットを被っていた。
待合室で座っていたトレイクとロゼを見るとすぐにシルクハットを脱ぎお辞儀をした。
それを見て半ば慣習的に立ち上がりお辞儀をするトレイク。ロゼはというと待合室にある薄い文庫本を一枚一枚じっくりと読んでいた。
「いやいや。
準備に時間がかかりましてな。申し訳ないです」
そう言ってライバートは恭しく笑みを溢した。
「いえ……。
お忙しい中時間を作っていただいたこちらにも非はありますので」
トレイクは薄ら笑いを浮かべ、言った。
「そんな社交辞令はどうでもいいのです。
とっとと本を返すのです」
文庫本をじっくりゆっくりと読んでいたロゼは気付くとトレイクの横に立っていた。
それを聞いてライバートは笑い、
「そうですね。
貴方たちの目的はそれですから。
私の公演なんか関係ないのでしょうな」
自嘲じみた事を言った。
「さぁ。いいからさっさと返すのです」
ロゼが急かす。
「解りました。
ですが、少々待って戴けないですか?
あれは別のところに置いてあるので」
ライバートは時計を見ながら言った。何処と無く焦っているように見えるのは時間が迫っているからなのか。
「えぇ。構いませんよ?」
トレイクはそのことを了承した。
ライバートは愛想笑いをしながら部屋から出ていった。
「何で逃がしたんですかこの馬鹿」
ライバートが出ていったあと、ロゼは唐突に呟いた。
「なんだいロゼ。どうかしたのか?」
「どうしたもこうしたもないのです。
奴を逃がす、即ち本を持ち去ったまま逃がす機会を与えたということですよ?」
「いや……。
まさか、いくらなんでもそれは……。
寛容な人みたいだし」
「……ほんとにお前はばか正直だ」
ロゼはため息をついて言った。
よくよく考えたらこの部屋は内側から出ることが出来ない仕組みということが判明した。
一体どういうことかというと普通外側についてあるはずの鍵穴が内側についていたからだった。
「……はめられた」
トレイクは頭を抱えてふらふらと歩き出した。
ロゼはまた薄い文庫本をまた読みはじめていた。
「おいロゼ。
なんで冷静に読書してるんだ?
あれは君の欲しいものだろ?」
「欲しいのではなくもともとわたしの所有物ですよ」
ロゼは本から目線を離さず言った。
「……そうだったな。今何冊揃っているんだったかな」
「6冊です。
半年でこれだけとは、いろいろとおかしいのです」
「それは僕に言うなよ……。
僕だってれっきとした仕事があるんだからさ」
「蔵書管理官ですか。
そんな名ばかりの職名を仕事というのですか」
「無駄話はここまでだ……。
ロゼ、どうする?」
トレイクはイライラしているのか銀のライターにある火付け石をカチカチと鳴らしながら、言った。
「さっきからカチカチと五月蝿いのです。
それに、たぶんあなたの力じゃこれは開けられませんよ」
ロゼが少しムッとした顔で呟いた。
「……じゃあ君がやってくれ」
トレイクは諦めたかのようにため息をついて言った。
少女は笑った。悪魔のような、何処と無く何かを含んでいるような笑いで。
そして、
彼女は目の前にいる全てをあざけ笑うように。
自分が全ての頂点ということを誇っているかのように。
そして今までの声を聞いてたものにとって全てを疑うような声で、言った。
「……良かろう。
さっさと取り戻しに行かねばな。
悪魔の叡知が記されたそれを」
そして。
ゴバァッ!! と彼女の回りにエネルギーの波が現出する。
ズドドドド!! とまるで土砂が壁に押し寄せるかのような音で、エネルギーの波は部屋全体を覆い尽くす。
ロゼは言葉とも言い難い何かを歌うように紡ぐ。
すると、人が高所から落下したような鈍い音が響いて、扉が強引に薙ぎ飛ばされた。
「やれやれ。
君が目覚めると僕は自分の身を守るので精一杯だ」
トレイクは何処からかと突然現れた。
「無能には無能なりに頑張ればいいのです」
誇ったように言うロゼ。
「……とりあえずこれからどうする?」
トレイクはロゼの誇っていることを無視しつつ、言った。
それに対してロゼは頬を紅潮させ、肩を震わせていた。
「……そう、ですねっ……。
まずは、あのポンコツジジイを探しましょうか……!!」
ロゼは我慢するようにそう言って、さっさと部屋を出ていった。
トレイクは、訳のわからないまま、ロゼについていった。
「……ほんと、君に関わると必ず事件が起きるね」
「ならば、付き回るのをやめたらどうですか?
どうせ無能なのには変わりありませんし」
「残念ながら君に付きまとうのが僕の仕事でね」
トレイクはうざったそうに言った。
彼女は読み終わったのか、文庫本を仕舞い、髪を何処からかきた風に靡かせ、
「さぁ行きましょう」
落ち着いた声で言った。
彼は昔は何も出来ない人間だった。
何をするにも遅くて、のろまで、とても駄目な人間だったのだ。
彼は、魔法使いになりたかった。
しかし、彼を知る人間は、その夢を笑った。
彼は嘆いた。
何故笑うんだ! お前らに私の夢を笑う権利などない!
彼は激昂した。
彼の父は偉大な魔術師だった。
沢山のマジックをすることが出来る、言わば天才だった彼の父はもう一つの顔を持っていた。
書稿収集家。
それがもう一つの顔であった。
書稿とは、蔵書や奇書などの書物は勿論のこと、発表されることなく消えた草稿などを総称したものである。
彼は父が憎かった。
憎んで、憎んで、憎み続けた。
だが彼は知っていた。彼の父がとある書物を持っていることを。
『操りの書』。
物や人、その気になれば惑星迄も操ることが出来るという悪魔の叡知が書かれた書物だった。
そして彼はそれを手に入れた。
悪魔の叡知を手にした彼に何も恐れることはなかった。
そして彼はその書物を使って何をしたか?
魔法《マジック》である。
彼がそれを使って完成させた『糸なし操り人形』は多くのファンを生み、多くの観客を魅了した。
そして、彼は今日もそれをするつもりだった。
だが。
突然現れた少年と少女のせいですべてが、彼の今までの作り上げたすべてが、崩れ去ろうとしていた。
ライバートはとある書物に載っていたことを思い出す。
『この世にない知識――悪魔の叡知を書き記した本を求めようとする者がいる。彼らは100冊の魔道書を集めようとしているのだ。』
「たしかその探している連中は……」
「悪魔、でございますよ」
ライバートのいる部屋に機械的で人工的な声が響いた。
そこにいたのは白のフリルを袖や腰などところどころに縫い付けられた漆黒のドレスを身にまとい、白のカチューシャを付けた黒髪の少女だった。
ロゼ、が彼女の呼び名である。
「い、いつの間に……」
ライバートは呆然としてその場に立ち尽くした。
「汝……その本をなにも解らずに読んでいたのか?」
無機質な、かつ音の乱れがないそれこそロボットのような……機械的な声が再び響いた。
「それは『操りの書』……。
我々悪魔だって読み解くのが難しい書物。
それを人間風情が読み解くができた。
それは認めましょう」
だがな。清楚な顔立ちから出るとは考えられないような嗄れた声で言った。
「それを“読み解いてもらっては”困るんだよ。
それは悪魔の叡知を書き記した魔道書。
人間ごときが見てはいけないものなのだから」
「……もし見たらどうする?」
「まあいい夢はみれないだろうな」
それを言った直後、ロゼは部屋から消えた。
「?!」
ライバートは思わず辺りを見渡した。
「奴め……。どこにいった……!!」
目を回しきれるいっぱいいっぱいの距離まで見渡す。しかし肝心の彼女は見つかる気配もない。
「遅いのです」
次にロゼの声が聞こえたのは――彼の真後ろからだった。
「なっ……!!」
ドゴン!! とまるで車か何かにぶつかったような衝撃をライバートは受けた。
ライバートの口から鮮血が漏れる。
「……もう終わりなのです。
此のままではお前の体は魔道書に蝕まれる。
そしてお前はお前でなくなる」
「それが……どうしたというのかね……」
ライバートはなんとか立ち上がり、言った。
「私は今までこの本に助けてもらった。
そしてもう頼りっぱなしだ。
だがしかし、だからといって、私がこの本を見棄てられることは……もう出来ない」
「なら死ね」
ロゼの短い言葉を口が紡ぎ切る前に、ロゼの手はライバートの腹を貫通していた。
そして。
机の上にあった本を持ち、倒れ行く嘗ての本の持ち主を見て、言った。小鳥の囀りのような透き通った声で。
「本当に、馬鹿よ。あんた」