03

 彼らがラスタルについたのは夕日で赤く焼けてきたころだった。

「おなかが空いたのです。

 さっさと宿屋に行くのです」

「もう食事かい?

 ……あと三時間で公演が始まるんだけど」

 少年は腕時計とチケットに目を交互に動かして言った。

「あと三時間……。

 でも座席指定のでしょう?」

「そりゃそうだけどさ」

「ならば向かうのです。

 大量の納豆ご飯が私を待っているのです」

 ロゼは少年を押しながら言う。このときの彼女はどう足掻いても逆らうことは難しい。いや、出来ないだろう。

「……解ったよロゼ。君の勝ちだ。

 宿屋に行ってご飯を食べよう。

 でもこの村に納豆ご飯があるかどうかは限らないよ?」

 彼女はその言葉を聞くやいなや獲物を狙う豹のような軽い足取りで走っていった。

 ……果たして彼の話は最後まできいていたのか、誰にも解らない。

 

 

 

 しかしながら結果は予想した通り。納豆は愚か豆すらも栽培されていなかった。

 宿屋の主が、明らかに憤怒しているロゼを見て恭しく笑いながら出した揚げパンの山に彼女は何の反応も示さなかった。

「おい、ロゼ。

 食べないと途中でお腹空くぞ?」

 しかしロゼは無言のまま揚げパンの山を見ていた。

「お腹空いてんだろ?

 食べなよ」

 少年が揚げパンの山が載せられた皿をロゼに向けて押し出した。

「トレイク=ラスター=シャルドネ子爵で御座いますか」

 少年は不意に自分の名前を呼ばれたことに気づき、後ろを振り返る。

 トレイクの後ろには先程揚げパンの皿を持ってきた宿屋の主が立っていた。トレイクが爵位の持つ人間とわかったからか、更にあからさまに恭しく笑いながら立っていた。

「トレイクは私ですが……。なんでしょう」

「御手紙をお預かりしましたのでお渡しに」

 丁寧すぎて逆にぎこちない口調で宿屋の主は言った。

 宿屋の主は、そのあとすぐにポケットから封筒を取り出してトレイクに渡すと、何も言わずにただお辞儀だけをしてトレイクたちのもとから離れた。

「僕に置き手紙ねぇ……。なんだろうか」

「置き手紙なんてろくなものが書かれてないのです。

 大抵この世の未練を書いた遺書なのです」

「それもそれで怖いな。

 というか僕に遺書を遺す人間なんてもう居ないと思うよ」

 笑いながらトレイクは封筒を開けた。

 気のせいかもしれないがその笑顔はひきつっているようにも見えた。

 封筒の中には便箋が一枚入っていた。

 そして、それを見るやいなやトレイクの反応が変わった。

「どうかしたのですか? トレイク」

 不思議に思ったロゼが尋ねる。

「……食事は中断だ。さっさと公演会場に向かおう」

 トレイクはそう言って自らの荷物をまとめ始めて足早に立ち去った。既に料金は支払い済みなので問題はない。

「あ、こら待つのです!」

 ロゼはそんなトレイクを見て急ぎ足で走って店を出た。

 

 

 

「公演が始まる前に魔術師直々に会いたいそうだ」

 宿屋を出て公演会場へ向かう最中、トレイクは呟いた。

「どうやら彼は僕らに本を〝渡す″つもりなのかな?」

「いいえ。

 〝渡す″ではなく〝返却″です。

 あれはもともと私の国のもの。

 返却が正しい答えです」

 トレイクの発言にロゼは苦言を呈した。

「そうだったな。すまなかった」

 トレイクは苦笑いしつつ、ロゼの方を見た。

 ロゼはただ何も反応を示さず、まるで人形のようにトレイクの後をついてくるだけだった。

 

 

 

 宿屋から出発したトレイクとロゼがライバートのいる公演会場にたどり着くにはそう時間がかからなかった。

 何故ならその会場は村の中心の巨木、齢1000年を越えるものらしい、を取り囲むように作られていたからだった。

 年老いた老木を切り倒そうとした考えが出た際、ライバートがそれを断固反対。彼が出した公演会場の建設案を基に、老木の再生を懇願したとのことらしい。

「……なぜ彼がそこまで老木を切ってほしくなかったんだ?」

 トレイクは先程出してもらった揚げパンをロゼに渡して言った。

「私にも解らないことがあるのです。

 龍脈の可能性もありますが……もしそうだとしてもその人間がそれをする理由が浮かばない」

「え?」

 トレイクはその言葉を聞いて顔をしかめた。

「考えてもみなさい。

 確か彼の持つ魔道書は『操りの書』……。

 ものはおろか人や、うまくいけば惑星をも動かすことが出来る書物です」

 聞いているトレイクは何かは浮かんでいるようだがそれがうまくまとまっていないのか、まだ仏頂面のままだ。

「ほんとうにお前は回転が悪い。

 宿屋に行って味噌を詰めてもらえばいいのに」

 ロゼが何も解っていないトレイクに皮肉を飛ばした。

「そんな味噌を詰めてもらうと僕はもっとダメになると思うけどね」

「いいえ。

 また話がずれてしまったのです。

 何れも此れも全てお前のせいなのです」

「また僕のせいかよ……。

 で、その『操りの書』がなんだって言うんだ」

「確かに操りの書は全てを操れる迚(とても)強大な力のある魔道書です。

 ですがその力を100%全力で操れるのは悪魔だけなのです」

「……『人が越えてはならない境界』……だったな」

 トレイクは全てを悟ったかのようにはっきりとした口調で言った。

「ええ。

 人が越えてはならない境界を人が越えると必ず歪みが生じます。

 それが小さいものならいいですが大きいものとなると……」

「行こう。ロゼ。

 雲行きが怪しい」

 トレイクの言葉にロゼは上を見上げると空はもう暗かった。

 日が沈んだということもあるのだろうが、雲が辺り一面に敷かれていた。

「……ええ。急ぎましょう」

 そう答えると早足でロゼは歩き出した。